武器になる哲学(という題名の身も蓋もない事例集)
を読んだ。
(だいぶ前だけど、Kindle Unlimited対象本だったので)
哲学とは書いてあるがむしろ心理学・経済学・社会学のトピックが多い。
ミクロかマクロかの違いはあるが、「人間の本質とはなんぞや?」という
テーマの断片が散りばめられている感じの本。
哲学入門書としては全く適さないと思うけど、偉人の遺したやたら切れ味鋭い示唆が
読んでるうちにクスっとくる笑いを誘うので、「う~ん、人類は愚か」みたいなことを言いたい人にオススメ
(もちろんポジティブなトピックもあるよ)
以下に記憶に残ったトピックをメモ
面白かった項目
ルサンチマン―あなたの「やっかみ」は私のビジネスチャンス
ルサンチマンとは?
- 「やっかみ」のこと
ルサンチマンに囚われた人間の反応
更にニーチェは「ルサンチマンを抱えた人は『ルサンチマンに根ざした価値判断の逆転』」を提案する言論や主張にすがりついてしまう傾向があると指摘
ニーチェの主張は飛躍しすぎ感あるが、宗教的なものの匂いを感じ取るにはアリな基準だと思う
- 余談:コンサルタントやマナー講師と言われる人種が胡散臭いのはこういう部分に根ざした話だと思う
- 奴らは「おまえはこれをやる必要があるのに全然できていない、自分はそれをうまくやる方法を知っている」という価値観をまず固めてくる。実に宗教的
報酬―人は、不確実なものにほどハマりやすい
- 有名なやつ
下記条件で、レバーがついたえさ箱をネズミに押させる実験
レバーの押し下げに関係なく、一定時間間隔でエサが出る=固定間隔スケジュール
- レバーの押し下げに関係なく、不定期間隔でエサが出る=変動間隔スケジュール
- レバーを押すと、必ずエサが出る=固定比率スケジュール
レバーを押すと、不確実にエサが出る=変動比率スケジュール
4→3→2→1の順でレバーを押す回数が減少する結果
- つまりギャンブル・ガチャ・SNSといった結果を予測できないもののほうがハマりやすい
今後、営利目的でサービス開発する場合、ガチャかSNSはマストなんやろうな、という
権威への服従―人が集団で何 かを やる とき には、 個人の良心 は 働き にくく なる
- アイヒマン実験の話
実験概要
- 「学習と記憶に関する実験」という広告で公募した1人の参加者、サクラの参加者1人、実験担当者1人の3人で実施(40組実施)
- 参加者はくじびきでどちらかが先生、どちらかが生徒になる(実際は公募した人は先生役、サクラが生徒役になる)
- 生徒役は別の部屋に入り電極付きの椅子に縛られ、インターフォン越しに「単語の組み合わせを暗記→テストで回答」を実施する
- テストで回答を間違えたら、罰として生徒に電気ショックを与える
- 電気ショックを与える方法は、15ボルト区切りで15V~450Vのボタンがついた機械が用意されている
- 誤答の度に先生役は15Vずつ電圧を上げるようボタンを押して操作する
- 誤答の度に電圧が挙がっていき、75Vあたりからうめき声、悲鳴、実験辞退の意思表明、助けを乞う声といったものが聞こえ始める
- 300Vあたりから生徒は回答を拒否する旨のみ話すようになる
- その状況で実験担当者から先生役に「数秒間待って返答がない場合誤答と判断し、電気ショックを行え」と指示がある
- 345Vに達すると生徒から反応がなくなる
- 実験担当者からは「今までと同様の判断を行うように」という指示がある
実験結果
- 26人/40人(65%)が、実験を拒否せず450Vになるまで電圧を上げ続けた(多少葛藤している人も大学で責任を取るといったら実験継続した)
- 追加実験として先生役を2人に増やし(公募1名、サクラ1名)、検証を行った
- 先生役(公募)は「回答の正誤判断、電気ショックの電圧読み上げ」、1名(サクラ)は「機械のボタンを押す」を行う
- 追加実験だと、37人/40人(93%)が450Vまで実験を継続した
「自分の意志で手を下している感覚」は、非人道的/正しくない行動に決定的な影響を持つ
- 縦割り組織で非合理的な判断や作業を行う、もこの一種
追加実験で実験中断した3人はどういう価値観の人間だったのだろうか?
逆に言えば、曖昧な責任範囲や事務的な役割分担を意図的に配置すればろくでもないことをさせ続けることができる?
悪魔の代弁者―あえて「難癖を付ける人」の重要性
前提
- ある意見が「論破されなかったから正しいと想定される場合」と「そもそも予め正しいとされている場合」には大きな隔たりがある
- 個人の知的水準が高いエリート集団が、愚かな意思決定をした事例が存在する(ピッグス湾事件、ウォーターゲート事件など)
- 集団浅慮
- 同質性の高い人が集まって意思決定すると、その質が著しく低下する現象
- 対策に反論の許容が必要なため、意見統制・抑圧が背景にあると発生しやすい
- 集団浅慮
悪魔の代弁者とは?
マタイ効果
概要
『勉強も運動も、優秀な者は4月~6月生まれが優位に多い』という統計が存在する
- プロ野球選手全体を見た場合
- 4月~6月生まれは全体のうち31%、1月~3月生まれは16%
- 学力に関して、中学2年生の4月~6月生まれ(生後168ヶ月)と1月~3月生まれ(生後157ヶ月)の平均偏差値を比較した場合
- 平均偏差値に5~7程度の差がある
- 累計学習月数(7%くらい)に対し、平均偏差値の差が大きすぎる(発生学のみでは説明できない)
- 小学校1年生なら生後84ヶ月と生後73ヶ月となるので感覚的には納得できるが、中学2年生だとこの状況はおかしくない?
- これを説明できるのがマタイ効果
- プロ野球選手全体を見た場合
マタイ効果とは?
結論:せちがらい
- 逆に言うと底辺層は1月~3月生まれ多いんやろな…
- ランチェスターの法則には弱者戦略という概念があるけど、マタイ効果的に弱者となる可能性が高いやつはどうすべきなのか?
- 教育に関する事例としては米国(?)での「サクセスフォーオール」という教育システムが有用そう(Learn Betterという本で紹介)
- 年齢や学年ではなく成績のレベルに応じて生徒をグループ分けし授業を行うシステム
ナッシュ均衡―「いい奴だけど、売られたケンカは買う」という最強の戦略
概要
繰り返し囚人のジレンマ
ルール: ・様々な選択ルールのプレイヤーが存在し、2人組で対戦相手となる(リーグ制)。 ・2人のプレイヤーが同時にカードを出す。カードは「協調(C)」か「裏切(D)」のどちらか。 1. 「両方協調(C-C)」だとどちらも3万円の賞金を得る 2. 「両方裏切(D-D)」だとどちらも1万円の賞金を得る 3. 「片方協調、片方裏切(C-D)」だと「協調」側は賞金なし、「裏切」側は5万円の賞金を得る ・上記はどの2人組でも規定回数繰り返されるが、プレイヤーには回数は知らされない。2人組を総当りとなるよう回す。 ・最終的に多くの賞金を得るためには、どのようなルールでカード選択を行うべきか?
上記ルールで世界大会が行われたが、強かったのはシンプルな下記ルールだった
- 1手目は「協調」を選ぶ
- 2手目以降は前回の相手と同じものを選ぶ
このルールが強いポイント
- 自分からは裏切らない(とりあえずいいヤツ)
- 裏切られたら即座にやり返す(売られた喧嘩は買う)
- 裏切るのをやめたら自分も協調し直す(終わったことは水に流せる)
これを「ナイスガイなアメリカ人」とか書いてたのがおもろい
- このルールを対人関係なんかに応用できるのでは?という観点で、大会主催者は「つきあいかたの科学」という本にしたそうな
余談:上記ルールは事前に組んでいるプレイヤーがいた場合、仲間同士でわざと勝ち/負けを予め設定しておくと結果が狂う
公正世界仮説―「見えない努力もいずれは報われる」の大噓
- 「1万時間の法則」への疑念
- 「スティーブ・ウォズニアックは1万時間プログラミングをしていた」→「1万時間プログラミングしたらウォズニアックのようになれる」はおかしい
- そもそも「練習量によってパフォーマンスの差を説明できる度合い」はジャンルによって違う
- テレビゲーム:26%
- 楽器:21%
- スポーツ:18%
- 教育:4%
- 知的専門職:1%以下
シニフィアンとシニフィエ―言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する
- 語彙の豊かさは自分の周囲(世界)を分析的に把握する力に直結するという示唆(1900年くらいに提唱された概念?)
- 一方、「1984年」というイギリスのディストピア小説(1949年作)の話
- 主人公が属する国は英語から「ニュースピーク」という言語への置き換えを進めている
- ざっくりいうとニュースピークとは英語をベースとしつつ、管理者側に都合の悪い概念や意味を取り払ったりしたもの
- 改訂される度に単語が減っていくため、表現できる幅が狭まっていく
- 70年前の小説で、具体的すぎる例が存在してるのすげーな、と
- 「政治的に正しい言論のみを認める」という本来的意味でのポリティカル・コレクトネスは1920年くらいに発生したらしいので、むしろ21世紀に生きる人よりは身近な話題だったのかもしれない
- 主人公が属する国は英語から「ニュースピーク」という言語への置き換えを進めている